猫のストリート

 ここ最近の自分の生活圏内から自分が受ける印象、感想と言えば。
あつい、うるさい、めんどくさい、意味がわからない、遅い、しんどい、あつい、くさい
思いつくままに並べるとこんな具合で、日常的にくさくさしている感じがする。スパッと表現するならばストレスがやばい。
一個一個かいつまんで述べるほど大した事ではないし、誰もそんなもの聞きたくもないだろうから言わない。

もちろんいいことも起こる。楽しい時間だってある。
しかし全然飲み込まれる。丸飲みされてしまうほどのイヤさ加減が取り巻いている。
書いててまたイヤな気持ちになってきたのでやめる。

最寄り駅と家との間に、勝手に猫通りと呼んでるストリートがある。なんでそう呼ぶかというと単純に野良猫か飼い猫かはよく分からないが猫に頻繁に出会うから。
出会うと言っても、ここの猫たちは総じて警戒心が強く触るどころか近づく事さえ叶わない。距離を置いてしゃがんで声を
かけて見ても、猜疑心に満ちた目でじっとこっちを凝視するだけ。少しでも近づこうという素振りを見せようものなら、物凄いスピードで物陰に隠れてしまう。可愛げなどひとっつもない。

しかし、その全てが微笑ましい。
発見遭遇から逃走までの一連の行動を見るだけで満足。それでいい、それだけで、いい

で、ヘドロの中で暮らしているような日々。
そのストリートで二家族におめでたがあった。相関図がいまいちはっきりしないのだが、明らかに違う親から生まれたであろう子猫たちが遊んでいるのを確認した。ひとつづつのファミリーがちょっとだけ離れた場所で群れているので、ツーファミリーであるのは間違いない、と思う。

これがくそ可愛い。

まだ短い手足を動かして子猫同士や親猫にじゃれているさま
まだ警戒心が薄いのか、道端で無防備に寝ているさま
これを眺めているときは世知辛いことなど考えない。浮かんでもこない。
まぁあんまり立ち止まってても暑いし通報とかされてもつまらんので早々に立ち去るけども、少し大きくなったかなぁなどと確認していると親戚のおっさんのような気持ちになる。
無事成猫になれよ!と願うばかり

そんな猫たちを描いてみました。この子らは多分きょうだい

猫たち

仕事しました

新刊小説の滅亡 扉

 前回の記事で触れた「本気」の全容がこれです。
お仕事いただきました。前回と同じくKADOKAWAさんの「ダ・ヴィンチ」です。本をめぐる短編のコーナーの扉絵と挿絵を担当させていただきました。
藤谷治さんの「新刊小説の滅亡」という短編小説です。
文学の保護の為に、全ての文芸誌が廃刊になり新作小説の発刊が無くなるという、自分の常識というか日常からはあり得ない内容のお話です。
読みながら、これは他人事ではないと戦慄、また深く考えさせられるお話でした。文芸に限らず、全ての芸術の分野に当てはまるのでは…?なんて拡大解釈してしまい。
正直どこまで書いていいのか、書くべきか、わからないので、内容に関してはこの辺で。興味のある方は是非読んでみて下さい。そして是非買って下さい。7月6日(昨日)発売です。自分は買いました。実家に送る用に。
新刊小説の滅亡 挿絵1

新刊小説の滅亡 挿絵2
  
このように
挿絵は最も多く描いてる得意(?)の風景画。クライアントさんの意向もありでわりとすんなり決まったと思っています。
悩んだのは扉絵。
全ての本が無くなるわけではなく、新刊だけがなくなるというこの事象をどうあらわしたものか。
いろいろラフを描いたもののなかなかしっくり来るものが浮かばず、うんうん唸りながらようやく思いついた感じです。
これならいける、と提案したところいいですねと言って頂けて胸を撫で下ろしました。ぎりぎりでした。

またひとつ、仕事として描くということに自信がついた気がしています。この機会を与えて頂けて本当にありがたいと思います。それと取材に協力して頂いた喫茶店の皆さま、ありがとうございました。
また精進していこう。頑張ろう。