雷に打たれたような話

おととい、というか昨日の早朝まで自分は滅多に出さない本気を出していた。それはもう頭がひび割れてそこから何か滲み出るぐらいに。
うそうそ。そこまでじゃない。利き手の指の付け根が痛くなる程度。腱鞘炎?と思うぐらい。
なぜかというと締め切りがあったからで、何の締め切りかは後日お知らせできると思います。
で、その山を越えたので今は平穏な気持ち。むしろ腑抜けぐらい気が抜けています。そんな状態で綴っているこの文章もやはりなんか緩い、だらだらしたものになるかなぁと思いますが、堪忍。

前回の記事を見直すと、展示のときに友人に頂いたありがたい言葉〜なんてなことを言ってる。
いつまで
冬の展示の話で引っ張るのか、と自分では思う。でも書く。

自分の絵は細かい。よっく言われる。とくに最近さらに細かくなり出している。時間ばかりかかってひとっつも完成しないので、自分としてはどちらかというと悪い傾向と思うのだがコントロールがきかない部分なので困っている。最近はそのことばかり考えている始末。好い加減のところを模索している。
この「細かく描いてしまう」というのは昔からで、先日というか結構前に昔の作品を見返す機会があったので再確認できた。
気持ち悪くなるぐらい描き込んでる作品がでてきた。それが、見ていて「良い」と思えるものならまぁアリだが、怖い、とか具合が悪くなる、みたいな感想しか聞かれなかったのでやめてよかった、その描き方。と思った。
なんでそんなもん描いていたのか、と思い返すと当時聴いていた音楽の影響が強くあった。当時傾倒していた音楽が、多重録音でノイズな音、歪みが強い音で綺麗なメロディー、音圧がすごいみたいな感じの、世間ではシューゲイザーとカテゴライズされるものだった。
今でも好きなのでよく聴いているけど、当時はその感じがピークで、その音の感触を絵に取り入れようとそんな絵を描いていた。で、不評、つまり失敗、ということで描くのも大変だし(1ヶ月へたすると2ヶ月かかっていた)別の手法を模索していた。で、今の描き方を見つけたのでやめた。きっと高度なことをやろうとしていたのだろうなぁ、と思った。

以来、自分はそんなややこしいことは考えず、なるべく素直に描こうと心がけて制作をしてきた。今でもそんなに変わりはない。
そんな流れの中での、前回の展示のとき。友人というよりは仲良くさせてもっらている、O場さんという作家が見に来てくれた。絵だけじゃない、文章や写真での表現もする幅広いその人。自分の絵を見て「いっぱいの小さい音が集まってるみたいな絵だ」と言った。

驚いた。まじ?と思った。O場さんは前述の音楽がどうのこうのということは知らないのだ。そして今現在そんな描き方は微塵も意識せず描いているのにそう感じるのか、この人は、と。
すごいね!と思う同時に嬉しかった。なんか理解された、と思った。

そんなすごいO場さんから提供して頂いた写真をもとに下の絵を描きました。


誰かの駅の風景 1 のコピー