2014/09/17
思い出したり忘れたり
北海道の大雪山の辺の話しだったかな?もう紅葉が見れるというニュースをテレビで見た。紅葉と言ったらもう秋。東京都内も日中汗ばむ日がまだあるものの、すっかり涼しくなってきている。夏の気配がしなくなってきている。ありがたい。しかし、前回のブログの更新は真夏だったような気がする。更新するのおっそいなぁと我ながら思う。まめに更新してなんぼだろう、と思っている。じゃあしろよ、怠けてないでよー、とも思う。そんな自責の念を抱きながら日々生活しています。
自責の要素はブログ遅い問題に限らない。ちゃんと税金払えよー、とか保険料払えよー、とか営業行けよー、とか探し始めるときりが無く、文字にして具現化されると暗くなるだけなのでやめる。やめても現実的に消滅するわけはないので、自責を抱えつつ生活しています。
生活するけどやはりストレスは溜まっていく。それは心身に良くない。なので一瞬、ひと時でもそれらを忘れたい、ということで先月末、富士山の麓の山中湖で行われた野外音楽イベント「SWEET LOVE SHOWER 2014」に一日だけ行ってきました。所謂夏フェスです。
周知の事と思いますが、複数のステージで複数のミュージシャンが生演奏を大音量で行う催しです。外で。
微妙だった天気もまあなんとかもち、ビールを飲んだりうどんを食ったりトイレに行ったり寝たりしながら丸一日音楽を楽しみ、時に興奮し、時にゆったりし、ときにしんみりし、時に感動し、感情の針を激しく揺さぶり諸々を忘れて過ごした。よかった。楽しかった。
しかし、この手の場所でいつも思うことがあるのだが、それは「ノリ方がわからない」という問題。
周りを見渡すと、若者達は自由闊達、とんだりはねたり手を上げたり軽快にステップを踏んだり輪を作ったり押し競饅頭みたいなことをしたりしている。まさに自由、言うことなしの自由 ここだけの自由 といった様相なのだが、その一見自由な行動には漠然となんらかの決まりがあるように感じて、下手なことをしたら「へっ、にわか者が」と嘲られるような気がして、実際向こうにしたらおめぇなんか見てねぇよ、という話しかもしれないが、気恥ずかしさとひねくれ者の性分と馬鹿になりきれないうしろめたさが混ざり合って、大人しく聴いているのが一番自然に聴ける、という結論に至りなるべく大人しく、時には体育座りで聴いている。とは言うものの、実際動きまくってのっている若者は楽しそうで、自分もああしたいという気持ちが湧かないわけではなく、ある種のうらやましさを感じてしまう。憧れてしまう。
自分がこういったイベントに足を運ぶようになったのはもういいおっさんになってからで、もっと若い頃から体験していたらできたのだろうか?と思い、自分の若い頃を思い浮かべてみるものの、その頃の自分にもできる気がしない。素質を感じない。
なんていう愚考を巡らしつつも、また行きたいと思える位には楽しかったのでまた行きたい。最後に打ちあがった花火は夏、終わりやで、と言っているようであった。
