初秋の光と影

毎週のように台風がやってきていやになる。
夏場暑くて暑くて、出かけるのに難儀していた。歩いてるだけで汗が垂れるからね。やっと涼しくなった、と思ったら今度は台風。あほみたいに雨やら風やら撒き散らして、さんざんめちゃくちゃやったら気が済んだみたいに消える。なんの責任も取らず。
自然のすることだからねぇ...仕方ないねぇ...などと言い聞かせて諦める。泣き寝入る。事実、されるがままどうしようもない事なのでどうしようもない。某国に倣って、大砲か何かで台風を破壊しよう、という行動もなにか違うような気もするし。自分にできることといえば、なるべく近寄らないでくださいと祈ることぐらいか。こう書くと随分と情けない感じになる。
甚大な被害が出ている地域もある。もういい加減やめてくれませんか頼むから。情けなくともお願いせずにはいられない。近所にある気象神社にお参りに行こう。そうしよう。

 天災、自然現象に限らず、不意にやって来る災いというものは人間社会において多かれ少なかれ存在している、と思う。被害が大きいものだと各種の事故。飛行機が落ちるとか車がものや人に激突するとか、亡くなる人がいたりすると本当に痛ましい話だ。被害が小さいものだと、並んで待っていたら後から来た人に割り込まれる、とか、電車でたまたま前に座っていた人が酔っていて、目の前で吐かれる、とか。
どちらもちょっとタイミングがずれていれば遭遇しなかったのではないか?と思えていたたまれない。
つまり、なにが言いたいかというと、人間社会というものは様々な因果が絡み合って、無数の点と線で構成されているまことにややこしく複雑な構造の上に成り立っているのだなぁ、と思うのである。それは同時に、人ひとりひとりの思惑、欲求、意思などなども混ざり合っていて、それぞれをカラフルな色を付けようものなら、混ざりすぎて真っ黒い抽象的な何かが浮かび上がるようなわけの分からなさを肌でなんとなく感じて生活しているのではなかろうか。
そらストレスも蓄積されるわ。
いっそそんなどす黒い相関図から解き放たれたいわぁ、根無し草のようにふらふら生きてたいわぁ、と思い一人電車に乗り、他県、郊外の山の上にある牧場まで放浪。周囲には人影は無く、実に風通しが良い。空は広く、秋の日に照らされた木や草が眩しい。輝いている。暫く佇んでいたら体に溜まったあらゆる毒素が霧散するようだ。
いやぁ空がたっかいねぇ、気持ちいいねぇ
言おうとしたが話す相手がいない。目の前にいる牛は草を食ったり首やしっぽを揺らすばかりで言語は通じない。

うんうん、気弱に一人頷いて帰路に着いた。

また透明でどす黒い藪の中へ。そんな秋の日。


霧降高原