飲んで飲んで飲まれて飲んで

昨日、約2時間くらい掛けてブログの記事を作成してアップロードを試みたところ、記事が綺麗さっぱり消えた。何処に消えたのか何が原因なのかも分からない。何処にぶつけて良いのか分からない憤りと苛立ちが沸き起こって、PCをミキサーみたいな機械につっこんで粉々というかもうほんとに粉末くらいの粒子にしてどこかに撒いてしまいたくなった。
しかし、そんな事したら撒かれた場所が汚染されるかもしれない、それはいかんなぁ、別の方法は無いかな、と思索を巡らせてみたものの特に浮かばなくて、脳内での復讐すらままならなかった。結局酒飲んで寝た。そんな日曜日でした。

 前回グループ展終了のお話をしたかと思うが、あれって8月の終わり頃の話で、今日は9月の最後の日。一ヶ月もブログをさぼってしまった。一息ついてちょっと遊ぼう、自分にご褒美なんつってだらだらしてたり、私的な用事があったり、突発的な事件があったりして、気が付いたら一ヶ月が経過してしまっていた。なんと時間が経つのは早い事か。もうすっかり秋な感じだし。
用事をこなしていたりもしたのだけど、ぼうっとしていた時間の方が比較的多い気がするのでうしろめたい気持ち。

 この一ヶ月、結構色々な場面で酒を飲んだ。大半が自堕落に飲む惰性的な酒であったが、そうでない酒も多かった。歓喜の開放的な酒であったり、めでたい祝福の酒もあった。悲しい酒もあった。同時に感情のふり幅が激しい一ヶ月だった。こういう特別な状況でどうしても自分は酒が欠かせない。喜ばしいにつけ悲しいにつけどういう訳か脳がじゃあ酒を飲もうという発想をする。自分もなるほどそれはやぶさかじゃないとなるので、その発想に乗っかる。結果飲んでしまう。ごく自然な流れで。
 若い頃なら酔えばより一層その場面を感じれる、というか感情を高ぶらせられる、というか心地よい高揚感を得られる、という理由も当てはまったが、最近はあまりそういう感じを味わうことも無いので、何で飲むのかよくわからない。量を飲めなくなったし酔っ払う事も少なくなった。多分惰性で飲んでいるのだが飲まずにはいられない。
ついでに酒の味も良く分からない。うまいとかまずいとかが良く分からない。これは昔からそうで、一緒に食べる肴がうまければうまいと思うが、肴がまずければ大して酒もうまいとは思わない。進まない。

 じゃあなんで飲むんですかって話しだが、多分それはそういう環境で育ったからじゃないでしょうか。
自分の育った場所は水がうまくて米どころ、よい日本酒を作るのに環境が整っており、やはり造り酒屋が多数ある。そんな街に住まう人々が酒をのまないわけはない。例に違わず、自分の家庭も、というか家系もよく酒を飲む。幼い頃から、何かにつけ集まっては酒を飲んで酔っ払い、時には半裸になって陽気に踊ったり歌ったりする親戚の人々を見てきた。脈々と受け継がれてきたそのDNAを自分も少なからず受け継いでいるのか、もはや当たり前、習慣ぐらいに思っている。
亡き祖父の法事で集まればやはり飲み結構なテンションで盛り上がり、そうかと思えば急に故人の生前を思い出して泣いたりする。すごい振れ幅なのだが、同席して同じように飲んでいるとすんなり受け入れることができるから不思議。
と、他人事のように言ってはいるが、自分も結構思い当たる節があり、さっきまで爆笑していたかと思うと、何かスイッチが入ると急に泣き出したりする。
血は争えない、と実感する。

そういった習慣が良いのか悪いのか知らないが、自分はそういう空気が好きなので、親戚の酒宴の中にいると凄く安心するし楽しい。
なのでその空気を愛おしんでまた酒を飲むのだろうな。

 下記の絵は、もう飲めなくなってしまった知人に捧げて描いたもの。
お疲れ様でした


サッポロラガー