ねこ欲

うちの近所は結構猫がうろついている。
前にも言ったことがある気がするが、もう一回言いたくなるぐらいうろうろしている。
ほとんどが野良猫と思われるが、飼い猫も含まれている様子だ。
自分も奥さんも猫が好きなので、迷惑とかそういうことはない。むしろいい。癒される。和む。
しかし、このあたりの猫たちは揃いも揃って警戒心が強い。
野良猫ならまぁ納得もするが、人に慣れているはずの飼い猫ですらそうだ。
なので全然、ひとっつも触らせてくれない。
自分はそこまで触りたい欲があるわけではないのでいいんだけども、奥さんは長年猫を飼っていたこともあり
触りたくてしょうがない。
生殺しである。

先日、自分はベランダに出て洗濯物を干していた。
うちは中学校と隣接しているので、ベランダの先は高い金網を隔てて校舎と校庭が見える。
校庭までは若干距離がある。金網と校庭の間にあるのはプランター、プランターと同じ程度の高さの板で仕切られた植え込みで、草や木が生えている。
それらをなんとなく眺めながら洗濯物を干していた。
干していたら下からカサカサ音がする。
なんや?と音の方を見ると、金網の向こうの植え込みに黒猫。草を食べたり、何かを追いかけたりしている。
自分は慌てて奥さんを呼び、しばし黒猫の気ままな行動を見ていた。
やがて黒猫は落ち着き、背中を舐めたり股を舐めたり腹を舐めたりし始めた。
ここで奥さんが、普段から亡き飼い猫のためにお供えしている猫の餌の缶詰を持ってきて、
缶をカチカチ鳴らし黒猫にアピールしてみた。
黒猫は動きを止め、丸い目でじっと見た。しかし見ただけで、また腹を舐めだした。全然である。興味なしである。
なんせ自分たちがいるのは二階で、たとえ黒猫が缶詰を食いたいと思ったところで寄ってくるとは考え難い。
もう音ではなく、直接的に訴えかける作戦に変更。
階下におり缶詰を開けてみようということになり、奥さんが缶詰とスプーンを持って現場に移動。自分はベランダから黒猫の様子を見張った。
見張っていたら、黒猫は奥さんが近づいてくる気配を素早く察知し、たどり着く前に走って行ってしまった。
仕方ない、すでに缶詰は開けてしまっていたので、自分らで食べるわけにもいかない、金網のこちら側にあるコンクリートの壁の上に、こんなことをしてるのを他の人が知ったら怒られるかもしれんと思いつつ、スプーンで餌をすくって置いてきた。
見渡しても黒猫の姿はなく、諦めて部屋に入った。

小一時間ぐらいして、置いてきた餌の様子を見たら綺麗になくなっていた。
せめて食べている姿ぐらい見たかった、と落胆した。
奥さんと二人でレンタルDVD店に行き、
千円札が伊藤博文の頃の大阪を舞台に、ホルモン焼き屋の少女とその父親が織り成すヒューマンドラマのアニメを借りてきて、少女の飼い猫である小鉄と名付けられた猫を見て笑った。
 
谷中の猫

生命力の体現

我が家、と言っても賃貸なので間借りしている家、と言えば良いのか、とにかく自分が住んでいる家。
ベランダがあって、そこにはプランターがある。
以前、小松菜、万能ねぎの種を買ってきて植えていた。結構まめに水を上げていた甲斐もあって見事に育った。
小松菜は収穫して食べた。万能ねぎも食べた。
しかし、我が家の食卓では万能ねぎの出番はあまりなくて 、全て使い切るには至らず残りはそのまま放置してしまっていた。
放置していたにもかかわらず、万能ねぎの生命力たるや凄まじく、その後も一部はへなへなになりながらも生き続け、
冬を乗り越え、先日葱坊主を発現させた。
収穫して以降水とか上げていないのに。
そこから種が取れるということで、奥さんが葱坊主をちょんぎって再び放置していた。
しかし数日後、また新たな変化を見せた。
洗濯物を干そうとベランダに出て、何気なくプランターを見ると何やらねぎが黒い。
枯れた状態とは明らかに違う色だったので、何が起きているんだ?と思って近ずいてよく見た。
果たしてそれは虫だった。
無数の黒い細かい虫が、ねぎに所狭しとひしめき合っていた。鳥肌がたった。
調べるとそれはネギアブラムシという虫であることがわかった。かなりえげつない絵面なので、画像は添えませんが
興味がある方はネットで検索するのが良いでしょう。
慌ててそのネギアブラムシが張り付いてるところを切り落として廃棄したのだけど、根っこごと捨てたわけではない。
地面から数センチねぎが残っている状態になったのだが、さすがネギアブラムシと名乗るだけあって、その数センチのネギにまた張り付いて集まりだした。
ほんの数分でまた真っ黒になった。
もうやっとれんわ、と思って酢を混ぜた水をぶっかけてほったらかしにした。
今確認しても相変わらずいる。


うちで採れた小松菜

猫のストリート

 ここ最近の自分の生活圏内から自分が受ける印象、感想と言えば。
あつい、うるさい、めんどくさい、意味がわからない、遅い、しんどい、あつい、くさい
思いつくままに並べるとこんな具合で、日常的にくさくさしている感じがする。スパッと表現するならばストレスがやばい。
一個一個かいつまんで述べるほど大した事ではないし、誰もそんなもの聞きたくもないだろうから言わない。

もちろんいいことも起こる。楽しい時間だってある。
しかし全然飲み込まれる。丸飲みされてしまうほどのイヤさ加減が取り巻いている。
書いててまたイヤな気持ちになってきたのでやめる。

最寄り駅と家との間に、勝手に猫通りと呼んでるストリートがある。なんでそう呼ぶかというと単純に野良猫か飼い猫かはよく分からないが猫に頻繁に出会うから。
出会うと言っても、ここの猫たちは総じて警戒心が強く触るどころか近づく事さえ叶わない。距離を置いてしゃがんで声を
かけて見ても、猜疑心に満ちた目でじっとこっちを凝視するだけ。少しでも近づこうという素振りを見せようものなら、物凄いスピードで物陰に隠れてしまう。可愛げなどひとっつもない。

しかし、その全てが微笑ましい。
発見遭遇から逃走までの一連の行動を見るだけで満足。それでいい、それだけで、いい

で、ヘドロの中で暮らしているような日々。
そのストリートで二家族におめでたがあった。相関図がいまいちはっきりしないのだが、明らかに違う親から生まれたであろう子猫たちが遊んでいるのを確認した。ひとつづつのファミリーがちょっとだけ離れた場所で群れているので、ツーファミリーであるのは間違いない、と思う。

これがくそ可愛い。

まだ短い手足を動かして子猫同士や親猫にじゃれているさま
まだ警戒心が薄いのか、道端で無防備に寝ているさま
これを眺めているときは世知辛いことなど考えない。浮かんでもこない。
まぁあんまり立ち止まってても暑いし通報とかされてもつまらんので早々に立ち去るけども、少し大きくなったかなぁなどと確認していると親戚のおっさんのような気持ちになる。
無事成猫になれよ!と願うばかり

そんな猫たちを描いてみました。この子らは多分きょうだい

猫たち

huyu shogun

日に日に寒くなってきています。冬感が増しています。
なんて書くと雪国の人々は、「こっちはもう雪降ってんだよ。積もってんだよ。呑気なこと言ってんじゃねぇよ。」と怒るかも知れない。
自分も元々は雪国育ち。重々承知しております。苦々しい雪掻きの記憶が思い出されます。
あれは嫌だったなぁ。仕事に行く前に雪掻きをして、職場でも雪掻きをして、家に帰ってから雪掻きをして、連日降り続くと体中筋肉痛。嫌がらせである。誰の?知らん。
今は都会でぬくぬく暮らしている。この時期になると少しうしろめたい気持ちが湧く。これからどんどんしんどい季節になって行くんだろうなぁ。
なに。んな事言ったら冬なんもいいことねぇみてぇだべした。
そんな事は無い。じゃあ何?いいこと。そうだなぁ・・・スキー、スノーボード等々ウインタースポーツに興じる、というのもあるが生憎自分は一切やらない。じゃあ何。
酒。日本酒。熱燗。これじゃよ。
鍋料理とかおでんとか、温かい料理を突きながらお猪口で以て口をすぼめつつちびちび飲む。想像しただけで温かそうだしおいしそう。
なんてな事を言うと、随分と日本酒の知識があってさぞ好みもうるさいんでしょうなぁ、と思われるかも知れないが、全然知識とか無いです。好みも無いです。

無かったんですが、この間、なんとなく購入した山田錦をお燗して飲んだところ非常においしく感じてしまい、今までカップ酒で充分満足していたのにもう不満。
これはまずいことになったなぁ、と思う。山田錦はワンカップ大関よりは値が張るので、経済的な理由でおいそれとは買えないから。まいったまいった。

故郷に思いを馳せていた筈だったが、山田錦は故郷と全然関係なく、更には絵と一切関係ない内容。完全にやっつけ感満載の記事になってしまいました。まぁ上げるけど。

故郷の酒に関しては、後日しっかり飲んで記事にします。

青山の風景

思い出したり忘れたり

北海道の大雪山の辺の話しだったかな?もう紅葉が見れるというニュースをテレビで見た。紅葉と言ったらもう秋。東京都内も日中汗ばむ日がまだあるものの、すっかり涼しくなってきている。夏の気配がしなくなってきている。ありがたい。

しかし、前回のブログの更新は真夏だったような気がする。更新するのおっそいなぁと我ながら思う。まめに更新してなんぼだろう、と思っている。じゃあしろよ、怠けてないでよー、とも思う。そんな自責の念を抱きながら日々生活しています。
自責の要素はブログ遅い問題に限らない。ちゃんと税金払えよー、とか保険料払えよー、とか営業行けよー、とか探し始めるときりが無く、文字にして具現化されると暗くなるだけなのでやめる。やめても現実的に消滅するわけはないので、自責を抱えつつ生活しています。
生活するけどやはりストレスは溜まっていく。それは心身に良くない。なので一瞬、ひと時でもそれらを忘れたい、ということで先月末、富士山の麓の山中湖で行われた野外音楽イベント「SWEET LOVE SHOWER 2014」に一日だけ行ってきました。所謂夏フェスです。
周知の事と思いますが、複数のステージで複数のミュージシャンが生演奏を大音量で行う催しです。外で。
微妙だった天気もまあなんとかもち、ビールを飲んだりうどんを食ったりトイレに行ったり寝たりしながら丸一日音楽を楽しみ、時に興奮し、時にゆったりし、ときにしんみりし、時に感動し、感情の針を激しく揺さぶり諸々を忘れて過ごした。よかった。楽しかった。

しかし、この手の場所でいつも思うことがあるのだが、それは「ノリ方がわからない」という問題。
周りを見渡すと、若者達は自由闊達、とんだりはねたり手を上げたり軽快にステップを踏んだり輪を作ったり押し競饅頭みたいなことをしたりしている。まさに自由、言うことなしの自由 ここだけの自由 といった様相なのだが、その一見自由な行動には漠然となんらかの決まりがあるように感じて、下手なことをしたら「へっ、にわか者が」と嘲られるような気がして、実際向こうにしたらおめぇなんか見てねぇよ、という話しかもしれないが、気恥ずかしさとひねくれ者の性分と馬鹿になりきれないうしろめたさが混ざり合って、大人しく聴いているのが一番自然に聴ける、という結論に至りなるべく大人しく、時には体育座りで聴いている。とは言うものの、実際動きまくってのっている若者は楽しそうで、自分もああしたいという気持ちが湧かないわけではなく、ある種のうらやましさを感じてしまう。憧れてしまう。
自分がこういったイベントに足を運ぶようになったのはもういいおっさんになってからで、もっと若い頃から体験していたらできたのだろうか?と思い、自分の若い頃を思い浮かべてみるものの、その頃の自分にもできる気がしない。素質を感じない。

なんていう愚考を巡らしつつも、また行きたいと思える位には楽しかったのでまた行きたい。最後に打ちあがった花火は夏、終わりやで、と言っているようであった。



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